深愛。
                                氷高 颯矢

 君に花を贈ろう。
 ささやかな、願いを込めて。
 花の持つ言葉に、君は耳を傾けて欲しい。
 それは、僕のささやき。君への想い。
 君を幸せにするという、僕の誓い…。

 〜八の月、エキザカム〜

 クレツェント王国は、王女・リディアの婚約の話題で持ちきりだった。
 相手は隣国であるカトレア国の元・皇太子で王弟でもあるアーウィング王子だ。
 国民は祝賀ムードに包まれ、
 一昨年の不幸な出来事など忘れてしまったかのようである。
 そんな中、王宮でも婚約披露パーティーの準備が進んでいた。
 「いよいよ明後日だと言うのに、まだカトレア国の一団は来ていないのか?」
 「もう着いてもおかしくないのですが…」
 そう、準備は進んでいるのに、肝心の相手がまだ到着していないのである。
 
 カトレア国の王子であるアーウィングが国王である兄から
 婚約の話を告げられたのは三の月。
 相手の顔すら知らないままに結婚が決まった。
 六の月、アーウィングは不幸な結婚はしたくないという思いから、
 素性を隠して相手の姫を見にクレツェント王宮を訪ねた。
 そして、彼は相手の姫であるリディアに会った。
 その時、手渡した想いの証は薄い青紫色の花――。

 『貴方に、お会いしたかったのです。
 会って、僕が愛するべき人がどのような人か…知りたかったのです。
 僕は貴方を愛するでしょう…実際に会って、そう感じました。
 貴方を、幸せにするには…僕を好きになってもらうのが一番です。
 だから、この花を贈ろうと思ったのです…
 貴方が、僕を好きになってくれるように願いを込めて…』
 『私は…』
 言葉に詰まった彼女から戸惑いの色が見えた。
 花のように儚げに美しい彼女の心には、誰かの影が見え隠れしていた。
 ――それでも、思った。

 ――彼女は僕と恋に落ちる…それは、きっと運命だ。

 その運命の女性との初めての対面からおよそ二月。
 長かったような短かったような、待ち遠しかった日。
 その日を控えて、アーウィングは喜ぶよりも、焦っていた。
 「王子、庭弄りは程ほどにしてください。そろそろ明日の準備を…」
 「ダメ!それにこれは明日の準備なの!わかる?
 僕にとってすごく重要な事なの!」
 それは花をつけた株を小分けにして荷車に積み込む、
 植え替える為の作業だった。
 どうしても、クレツェントの城へ行く前に終えなければならなかった。
 「兄上、王子があの花を熱心に育てていたのはご存知でしょう?」
 「ディル…私だって解っているよ。
 だが、"節度"というものを教えるのは長兄の務めだろう?」
 顎で示すは一緒になって土まみれになっている弟と妹の姿。
 「でも、臣下としては明後日の式典に響かない事の方が大事です」
 「…だな。あのままじゃ日が暮れるどころか夜が明ける…」
 良識ある大人達は子供達の為に一時子供に戻ってあげることにしました。

 婚約披露パーティー前夜。
 ようやく、カトレア国の一団は到着した。
 旅を終えたばかりにしては、皆、疲れていないようだった。
 強いて言えば、アーウィング王子とその乳兄弟達は動きが妙に固かったくらいで…。
 国王との謁見を終えて、一団はそれぞれに与えられた部屋に落ち着いた。
 しかし、アーウィング達はこっそりその部屋を抜け出していた。
 後でお茶を持ってきた侍女は王子の部屋がもぬけの殻であることに気付かず、
 お茶だけを置いて部屋を去った。

 当日の朝、リディアは窓を叩く音に気付いて目が覚めた。
 夜着の上にショールを羽織ると、ベッドから下り、窓辺に近付いた。
 「貴方は…!」
 リディアは驚いた。そこには、婚約者であるアーウィングの姿があったからだ。
 「どうなさったのですか?」
 窓を開ける。すると、アーウィングは、掴まっていたロープから
 張り出した台のような部分に足をかけ、部屋に入ると、その上に座った。
 「おはよう、リディア姫…」
 「お…おはようございます…あの…?」
 「ごめん、ごめん…驚かしちゃったね?
 実は、君に見て欲しいものがあって…」
 悪びれもしないその態度に、少年らしさを感じて、
 思わず笑みがこぼれる。
 「窓から下を見てください。僕の気持ちです」
 「…?」
 リディアは言われるままに下を覗いた。
 すると、そこには、一面の花。
 「どうして…?昨日はこんなじゃ…」
 「昨晩、こっそり植え替えたんです…僕の館から、ね?」
 「綺麗な紫…」
 「そうでしょう?花径が小さいから、たくさんでないと目立たないと思って…
 ちょっとやり過ぎかもしれませんが…」
 アーウィングは照れくさそうに笑った。
 よく見ると、その手に土が付いている。
 (まさか、自分で?あんなにたくさん…)
 リディアの視線に気付いたアーウィングは、パッとその手を隠した。
 「僕だけでは、さすがに無理ですよ…
 手伝ってもらいました、乳兄弟の連中に…」
 リディアは六の月の事を思い出した。
 あの時の人達の事だと、すぐに理解に至った。
 「今日のパーティー…楽しみにしてます。それじゃあ…」
 アーウィングは窓から飛び降りるようにロープを滑り降りた。
 すると、着地と同時に、ロープが引き上げられた。
 地上に降りたアーウィングは、窓辺のリディアに向かって、手を振った。
 リディアも思わず、手を振り返した。
 すると、満足そうに笑って、走り去った。

 「あの花は、何て言うのかしら…?」
 リディアは、今日の衣装を着せるためにやってきた侍女に聞いてみた。
 「どなたか知ってますか?」
 「いいえ…」
 「私も…」
 どの侍女もそれを知らなかった。
 「失礼致します…」
 部屋に入ってきたのはシレネだった。
 「お召し替えを手伝うように言われて参りました。
 私は、シレネ=アキレアと申します。
 王子の乳母・ハンナの娘にございます…」
 「まぁ…貴方はあの時の…」
 「はい…シレネとお呼び下さい、姫…」
 シレネはそう挨拶をした。
 「貴方…あの花を知ってますか?」
 リディアはシレネに訊いてみた。
 「あれは、エキザカム…エキザカムというのです。
 花言葉は、『貴方を愛します』…」
 「まぁ、素敵ですこと!」
 「本当に!」
 侍女達が口々に誉める。
 「王子は、花がお好きなのです…だから、花にご自分の気持ちを込める…。
 回りくどいことをされていますが、あれが王子なりの表現なのです。
 察してあげてくださいませ…」
 リディアは、ただ恥ずかしくて俯く。
 アーウィングはあの時、確かにこう言っていた、
 『僕の気持ちです…』と。
 こういう事だったのかと思い至った。
 「さぁ、姫。お召し替えを…」
 「はい…」
 アーウィングの母があつらえたというドレスは、リディアにピッタリだった。
 「ほとんど直す必要ありませんね…というより、ちょうど良いみたい…」
 シレネは、びっくりしていた。
 アーウィングから、ドレスの調整を頼まれていたのだ。
 母親が勝手に作ったものだから、多少、
 合わない部分があるだろうと言っていたのだが…。
 「ええ、私も驚いたんです…こんなに私に合うものを下さったんで…」
 リディアも着てみてそう感じたようだ。
 「とてもよくお似合いです…」
 皆、リディアの美しさにため息をついた。
 「ありがとう…」
 リディアは曖昧に微笑んで見せた。

 パーティーもつつがなく進み、宴もたけなわとなった頃、
 ようやくリディアとアーウィングは二人きりになった。
 アーウィングがリディアをテラスに連れ出したのだ。
 「今日は、とても嬉しかった。
 貴方が僕の花嫁になる事が国中から認められて…」
 「ええ…」
 「そのドレス…とても良く似合っています。
 ありがとう…母上の願いを叶えてくれて…」
 照れくさそうにアーウィングはそう言って、更に続けた。
 「僕は、貴方が好きです。多分、前に会った時から…。
 貴方に会えなかった時間は、とても長く感じられて…」
 「私…」
 「あ、いいんです!別に、僕を今すぐ好きになってくれなんて、
 そんな事は言いません…。
 前に言ったように、少しずつでいいんです。
 今日から、真剣に考えてみてください」
 アーウィングは優しく笑う。
 リディアは、この笑顔が嫌いではなかった。
 「あの花、とても嬉しかったです…」
 「本当ですか?」
 「エキザカム…というのね?
 貴方の気持ち、ちゃんと伝わりました…」
 リディアも、自分にに応えようとしてくれている事に、
 アーウィングは気が付いた。
 「貴方を『好きか?』と訊かれれば『キライではない』と答えるでしょう。
 でも、『好き』と答えられるほど、私は、まだ貴方を知らない…」
 「知ってください、僕を…」
 アーウィングはリディアの手を取った。
 「僕は、この後、カトレアに帰る気はありません…
 クレツェントに自分の邸を持つ事にしたのです。
 以前、貴族が別荘として使っていたものらしいのですが、
 それを買って改装しました。すでに、そこに住んでいます。
 これからは、毎日でも馬を飛ばせば会いに来る事が出来ます…。
 僕は…毎日でも貴方に会いたい!」
 アーウィングの瞳は真剣そのもので、真っ直ぐに見つめてくる。
 「…って、そんなの…無理ですよね…?
 僕も貴方もすべき事はたくさんあるのに…。
 でも、時々…そう、せめて週に一度…会いに来ても良いですか?」
 「ええ。会いにきてください…」
 「じゃあ、そのたび貴方に花を贈ります!」
 花が好きだと言っていた。
 だから、それが相手にも最上の贈り物なのだろう。
 思わず、笑みがこぼれた。
 「私も花は大好きよ…楽しみだわ…」
 「その笑顔…すごく素敵だ…。もっと、笑ってください!
 僕は、貴方の笑顔が好きだ。憂いを含んだ表情も綺麗だけど…
 曇りのない笑顔の方がもっと魅力的です…」
 アーウィングは、紅くなった。
 リディアは、自分といてもどこか寂しそうで…
 でも、こうして笑ってくれたのが何より嬉しくて…。
 「きっと、幸せにします…。だから、笑ってください…」
 アーウィングは握っていたリディアの手の左の薬指に指輪をはめた。
 「これ…」
 「これも、母上から頂いたんです。
 この指輪は、父上から婚約の証に頂いたものなんだそうで…
 飾り気はないけど、その分、想いが詰まってる…。
 サイズは…合ってるみたいですね?よかった…」
 名残惜しかったが、ようやく手を離す。
 「月長石と真珠…どちらも六の月の石ね…」
 「母上が六の月生まれなんだ…僕と貴方が初めて出会ったのも六の月です。
 だから、これも相応しいように思えて…」
 そして、その宝石はどちらも月を連想させる。
 まるで、月のように美しい銀の髪を持つリディアにピッタリだった。
 一生懸命に語るアーウィングの姿は、どこか幼さが残っていて、可愛かった。
 (男の子を可愛いと思うのって…おかしいかしら?
 でも…こんなに思ってくれている相手に対して失礼かしら?)
 「ありがとう…アーウィング様」
 ドキッとする。
 改めてリディアに名前を呼ばれるのは、これが初めてかもしれない…。
 アーウィングは、その声に捕まった。魔法にかけられたみたいに動けなくなった。
 そして、リディアは少し踵を上げて背伸びをすると、
 アーウィングの頬に、軽く触れる程度の接吻けをした。
 「――っ?!」
 アーウィングは、あまりの出来事に呆然とした。
 「…では、そろそろ失礼します。おやすみなさいませ…」
 「…あっ、はいっ、おや…すみなさい…」
 だんだん声が小さくなっていく。
 焦って上手く返事ができなかった。
 ズルズルとテラスの柵にもたれたまま、しゃがみ込む。
 頬に触れてみる。
 まだ、ほんのりと感触が残っているような気がして…。
 顔がだらしなく弛む。
 「あはっ…ははは…やった、すごく…死にそうなくらい嬉しい〜!」
 大声で叫びたくなる衝動に駆られる。
 身体がウズウズして、今にも動き出しそうだった。
 妙に走り出したい気分。幸せをかみしめる。
 「おやすみなさい…姫…」

 月は、見る者によって違う顔に見えると言う…。
 恋をしたのは彼女自身か、それとも…?
 答えは出ない。雲が全てを隠してしまうから…。
 ねぇ…本当の君はどこにいるの? 
 本当の君に会いたいよ?
 君のことが知りたいんだ…。

「深愛」の増補改訂版、オリジナル仕様です。逆に、削った所もあります。
それは、リディアとカイザーのシーン。
これはアーウィングを中心にしたシリーズだからです
またの名をアーちゃん萌え話。
周りの人が次々にアーウィングの魅力にヤラレていくという…(嘘です)

深愛〜花は囁く〜・2へ続く